「日本のヤバい女の子」(はらだ有彩)を読んで

こんばんは、あずきなこです。

「日本のヤバい女の子」(はらだ有彩)を読みました。
タイトルの手に取りにくさが半端なくてヤバい。買うのに勇気がいる本だな……と一瞬思ってしまった私は汚れているんですね。本質を明らかにするラーの鏡のような本です。

昔話に降り積もった語り手や読者の思惑を取り払い、素顔になった登場人物と喫茶店でコーヒーの飲むように話し込む、というのがこの本のテーマです。
昔々、マジで信じられないことがあったんだけど聞いてくれる?

おとぎ話を読みながら「もし私がかぐや姫だったら」「乙姫だったら」という想像をしたことがある人は少なくないでしょう。でも「彼女たちが自分の友達だったら」といえ観点はちょっと珍しいのでは。
えーそんな親ヤバくない?うっそーそんな男やめたほうがいいよー。なんて、気軽に彼女たちと話せたら、確かに聞いてみたいです。【あのとき】本当はどう思っていたのかを。

作者の現代語訳も非常に良いです。シリアスによりすぎない。中にはあまり知らない話もいくつかありましたが「ヤバいな」と納得させられる説得力がありました。

全部好きですが、特に気に入っているのが「イザナミノミコト(古事記)」のくだりです。

イザナミノミコト自体が有名ですね。
イザナミはイザナギと協力して日本を作り、火之神を産んで死んでしまった。イザナギは黄泉の国まで迎えに行くが、変わり果てたイザナミの姿を恐れ逃げ出してしまう。「決して見てはいけないと言ったのに」と激怒するイザナミですが、イザナギが置いた岩に阻まれて追いつけない。「この国の人間を一日に千人殺す」と宣言すると、イザナギは岩の向こうで「それならば私は毎日千と五百の人間を産もう」と答え、話は終わる。

訳し方により違いはあれどおおよそはこんな感じだと思います。
「見るなと言われたものを見てしまう」は物語の大定番ですね。特に「死語の世界で(振り返って)見てしまう」というのは古今東西で使われるタブー。ジョジョにも出てきましたよね。振り返ってはいけない小道。
作者はイザナミに同情的(ちょっと腐ったからといって何だというのか、ナメとんのか)ですが、添えられた解釈は切なくて優しい。

「イザナミは、イザナミが覗くのを待っていたのではないか。」
迎えに来られてももう帰れない、だって死んじゃったんだから。でもそう言ってもきっと貴方は納得しないだろう。まだまだやるべきことがあるのに。それならば、もっと決定的な何かがあればいい。たとえばもう悲しまずに済むような、私たちの国を愛していけるような何か。

目からウロコの解釈です。
だからこの国の人を毎月千人殺すね!というのは論理の飛躍な気をもしますが、神様なんだからそれぐらい勝手でいいのかもしれません。むしろ「もう帰れない」というルールの方が不自然ですらある。

今日はこの不毛な戦いに勝った。明日は私がやられるかもしれない。でも明後日は勝利するかも。勝っても負けてももうあの頃には戻れないけど、精一杯の誠意を込めてあなたの怒号に耳を傾け、私もお返しにあなたの口にジャムパンを詰め込んでやりながらこう叫ぼう。
うるせえ。どつきまわすぞ。

喧嘩とヤバい女の子

全編軽妙な語り口と斬新な視点で何度読んでも面白い本です。現代をたくましく乗り越える、マジでヤバい人におすすめ!

それでは今夜はこのへんで!おやすみなさい、またあした(´︶`)ノ”

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